自分は何が好きなのか
必死で探す

自分は何がしたいのか
精一杯に探す

自分は何が欲しいのか
ガムシャラに探す



自分のことは
自分しか知らないから

自分のことは
自分しか分からないから

自分のことは
自分しか考える人はいないから



君は何に必死になって生きている?
君は何に精一杯に生きている?
君は何にガムシャラに生きている?

必死の方向が違うんじゃないのか
精一杯の方向が違うんじゃないのか
ガムシャラの方向が違うんじゃないのか

 

嫌いを好きになろうと
苦手を得意になろうと

必死になっていないか
精一杯になっていないか
ガムシャラになっていないか


「嫌いを好きに」・・・なんて
「苦手を得意に」・・・なんて


なんで
わざわざ自分から

「できないこと」に
向かって行くんだろう


どうして自分から

「できること」に
向かって行かないんだろう

「できること」に
手をかけようとしないんだろう



「できない」
「ない」

これがすっかり
自分の口癖になってしまっている人は

「できない」
「ない」

こっちの方向ばかりに
自分を格闘させる

そして格闘歴ばかりを
毎年記録更新しているはずだ




自分が「できること」
自分に「あるもの」

これに焦点を合わせて
普段から生きてる人は


「できる」
「ある」

これが口癖になっているから


「できる」方向へ
「ある」方向へ

普段から自分を導く



「できる」方向へ
自分を向かわせるのだから

「ある」方向へ
自分を向かわせるのだから


結果は出る(=できる)

プロセスにも
手応えはある(=ある)



自分の口癖と
自分の脳内癖はイコールだ



脳が無を求めるから
口癖も行動も無を求め

結果も無のまま



「無から有」へ

その舵をとる人間は
この果てしない宇宙の中で

自分ただ1人だ



君が長年に渡り求め続けてきた
「たったひとりの人」とは

君を「できる」と「ある」に向かわせる
君自身のことなんじゃないのか?







《 追記 》

「できない」
「ない」

それともう一つは
「わからない」だ


最初は誰も「わからない」


「わからない」から
「わかる」まで探求する


探求する方向も

「できる」
「ある」 

この方向のみだ


結果
「わからない」が「わかる」になる



「できない」
「ない」

こっちの方向に
いくら探求しても

結果はいつまでも
「わからない」



これもまた
分かりきった方程式なので

***

「できる」+「ある」=「わかる」
    (方向)→(探求)→(結果)

***

この方程式に従って瞬時
自分を確実に意識的に動かしていくことだ