「そのままの自分」を知るとは

歪みがあったり
偏りがあったり

「理想の人間像」からは
大きくはみ出したり
大きく欠けたりする

そういう
「ありのままの自分」を
知るということで


「理想の自分像」とは

歪みがあったりする
「そのままの自分」

偏りがあったりする 
「ありのままの自分」

それでも
「ピカピカに生きる自分」のことだ



だからこそ

「理想の自分像」を
「理想の人間像」に
設定してしまった人は

ドンドン方向は
「幸福に生きる」ということから
離れていってしまう


歪みを正さない
偏りを正さない


だれかに
自分は異常だと言われても

だれかに
自分は悪者だと言われても

異常でも
悪者でもいいってことだ



他者からの評価で
本来の自分の素材に
修正も訂正も加えない



どこに行っても
誰といても

飾りも誤摩化しもない
修正も訂正もしない自分でいる


だからこそ
心はラクになる


いつも自分は
解放された気分でいられる

いつも自分は
自由に生きてる体感がある




他者に自分が理解されることなど

絶望から幸福まで
どこをどう見渡しても

そんな瞬間はどこにもないんだ


絶望は絶望で
他者には理解などされないし

幸福は幸福で
それもまた他者の理解とはほど遠い


逆に幸福になればなるほど
少数派になるわけだから


他者からの理解という方向から
どんどんかけ離れて生きることが

つまりは「幸福を生きる」
ということになる




理想の人間像を追い求め
他者からの理解を追い求め

そうやって
頑張るたびに

そうやって
努力するたびに


自分本来の心が望む方向とは
反対側に突っ走っていることを


自覚し
立ち止まり

方向転換する



走ることをやめた人も
しっかり立ち止まった後は

再び走り出す方向を
間違えないように


過去と同じは繰り返さない


過去を歩くとは
同じ体験と同じ感情の繰り返し

未来を歩くとは
初体験と初感情の繰り返し



生まれて初めての経験が
積み重なっていきながら

過去とは違う未来は
日々着々と手作りされていってるんだ