暴力は
何も解決しない

言葉の暴力も
身体の暴力も

どちらも
何かを解決することはない


だけど

暴力を知っている人間は
暴力で解決に挑もうとする


それは

他者にだけではなく
自分自身に対してもだ



この世の圧倒的多数の人々は

暴言と
(=自分へ投入するネガティブ感情)

暴挙にて
(=自分の心身に対する優しさ欠如)

自分で自分を暴力で苦しめながら
なんとか人生の突破口を見いだそうとするが


果たして
その方法にて

人生ですでに
何らかの解決を得ただろうか?



得てないはずだ



暴力は
何も解決しない

自分を否定しても
自分を苦しめても

そういう生き方や考え方では
人生の突破口は見いだせない





体罰を良しとすることを
公言している人も度々見かけるが

体罰以外の解決方法を見いだせない
自分の無知さを

自分でわざわざ世間に
ひけらかしているようなものだ


彼らが本当に伝えたいことの中身とは

体罰が自分に良い方向に作用した
という意味ではなくて

「全力で自分と向き合ってくれた」
その姿勢が良かったという意味のはずだ


ある人生の瞬間に

互いが
互いに

心の奥底から
全力で向き合った時

取っ組み合いになったり
殴り合いになったり

特に男性同士の場合は
そういうシチュエーションもあるからだ


でもそれを

「体罰はOK」と
一括りにしてしまうのは

まったくもって
的外れな言い方になる




自分を否定する以外の方法を
自分を苦しめる以外の方法を

自分で見いだしていき
それを自分で試していき

その人生の結果を受け取ること



この一連の
心的作業プロセスの中にこそ

「自分がやりたいこと」の核は
隠されている



暴力以外の方法を
自分自身の心に試していくんだ

暴力以外の新しい方法を
自分自身の心に試していくんだ



今までとは違うやり方で
今までとは違う自分と違う人生を

生き始めていくんだ