「〜するな」という意見は論外として
「〜してね」という意見にも耳を貸さない
なぜなら
「〜するな」であろうが
「〜してね」であろうが
これら言葉が
他人を支配する言葉であることには
なんら変わりがないからだ
子を不幸にする親のパターンでも
「〜するな」ばかりではなく
「〜してね」も同じだけ存在する
いわゆる
親の期待ってやつね
この手の親は
自分が動かずして
代わりに
子を動かそうとする
親の夢を子に託すとか
子を自慢の子に仕立て上げるとか
このような親が
どれほど子を苦しめてるか
親には想像もつかない
なぜなら親は
「自分は良い事をしている」
(自分は良い親である)と
信じきっているから
他者や周囲に
自慢できる子
親が子に求めるのは
こういうことで
そこには
「子の嗜好」も
「子の意志」も
1ミリたりとも存在しない
だから子は不幸になる
なので
子供には
否定もしないが
期待もしない
親の期待
周囲の期待
んなもん無しで
ただただ
自分が楽しいように
自分の好きなように
自分の人生を生きてくれれば
それが結果的に
どんな生き方になろうが
ぜ〜〜んぜん
OKなんだから