考え方

怒りの感情ってのはこういう仕組みさ

56


自分で自分の
不幸のシナリオを作って

どんどん
自分で自分を
不幸に陥れる


自分の中に
「怒り」を抱えている人ってのは

そんな自分に
自分が怒ってるんだ


自分で自分を
不幸にしなかったら
怒りの感情ってのは
自分の中に湧かないんだよ

つまり

他者への怒りってのも
キレイサッパリ消滅し

怒り?
なにそれ?

ってな世界観に
自分は包まれるようになる


あの人への怒り
この人への怒り

その根源は

自分を不幸に陥れる
自分自身にある


自分で自分の
幸福のシナリオを作成し
自分で自分を幸福にしてみなよ


怒り?
なにそれ?

ってな境地を

君も君の人生で
味わえるようになるからさ





 

ウツとパニックと依存の克服

37

ウツやパニックの
「体質」ってのは
一生変わることはなくて

いつだって
ウツに戻れるし

いつだって
パニックに戻れるけれど

自分の在り方や
自分の生き方を変えることで
制御ができるようになるんだ


ビギナーはウツやパニックの
一歩手前でストップできるようになり

それがそのうち習慣化していくと
十歩手前でストップできるようになり

達人レベルになれば
三十歩手前でストップできるようになる!


でも依存に関しては
もう全く種類が別物でね

人生のどこかでパキっと
依存の方向を変えるしかないんだ


依存体質ってのは
ウツやパニックと同じ体質だから
生涯変わることはないけれど

ウツとパニックとの大きな違いは
依存心にはストップをかけるのではなく


依存の対象という方向性を

不幸と不健康の方向である
「他者」や「異物」とは違う

幸福と健康の方向である
「自分」と「自分の行為」に変更することなんだ



他者を手放し切り落とす代わりに
・自分を依存の対象にする

薬物などの異物を手放し切り落とす代わりに
・自分の行為を依存の対象にする



自分を依存の対象にするということは

「自分を幸福にする人間は自分しかいない」
という覚悟のことだ


自分の行為を依存の対象にするということは

「それをするから自分には生きる価値がある」
という信念のことだ



自分育てという
自分の育て直しってのは

赤ん坊を育てることと
全く同じでね


赤ん坊が寝ないから
睡眠薬を投与しよう

赤ん坊が泣き止まないから
安定剤を投与しよう

赤ん坊の元気がないから
麻薬を投与しよう

・・・な〜〜〜んて
こんな子育てアリ?


ないに決まってるじゃーん!


なぜ
眠れないのか?

なぜ
泣き止まないのか?

なぜ
元気がないのか?


それにはそれぞれ
個人的な理由と原因があるんだ


その理由を解明し
その原因を追求し

そして具体的に
自分行動によって解決する


『自分と人生を根本的に変える』とは
こういう超メンドーなことを

1つ1つ地道に

時間をかけて
体を動かして

解決していくことなんだよ






《 追記 》


「自分を幸福にする人間は自分しかいない」

=「自分を癒せる人間は自分しかいない」
=「自分を治せる人間は自分しかいない」

(プロとはあくまでもその補助役でしかない)


多くの人が
「たった1人の人」って夢見てる
その人ってのは

そんな
「自分のこと」
なんだ






コップと水と幸福

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コップの中の水が

汚れてたり
濁ってたりしたら

その上に
いくら透明な水を注いでも

水はやっぱり
汚れたままだし
濁ったままになる


だからこそ最初に
コップの水を空っぽにする

コップの水を空っぽにして
コップの中をキレイに洗って

それから
透明の水を注いでいく


そして透明の水が
コップ一杯になったらどうする? 


透明の水は
捨てる必要のない水で

でも新しい透明の水の
入れ場所がなくなってしまったら


だから
その時に
新しいコップが
自分の目の前に用意されるんだ


こうやって
コップの数が増えていく

透明の水の保有量が
どんどん増えていく


幸せが続くって
幸せが広がるって

こういう感じなんだ





 

本当の自分の音=本音

42

自分の本音の声ってのは

分厚い仮面を被って
長年生きてきた人は

そうそう簡単に
聞こえてくるものではない


時々

勘違いしてる人
いるんだけどね


『いい人仮面人生』が長いと
否定も嫌悪も攻撃も封鎖して
生きることが当たり前になってて

すると

否定
嫌悪
攻撃

この3つが
自分の中から
出てくるようになると
 
これこそが
自分の本音だーーーー!って


でも
ちゃうから


本音ってのは
そういう『音』は出さないから


自分の本音ってのは

自分は本当は何が好きで
自分は本当は何が楽しくて
自分は本当は何が嬉しくて


自分は本当は
何をしている時が
最高に幸せなのか


そういう『音』が
声になって聞こえること

これが
本音の声ってもんなんだ





 

芳香療法/香料治療

38
47

リリー=ローズ・ディップ
すっかりシャネルの顔だな

 
シャネルの5番といえば

そう
この人 ↓

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同じ香水でも
過去と現在では
ずいぶんイメージが違うね



香水を外出時だけではなく
お風呂上がりや寝る前など
普段から身に纏うのは

マリリン・モンローや
ココ・シャネルの
表現するとおりで


香水ってのは洋服の1部なんだ
(心と体の目に見えない洋服)


それで香水って言うと
敷居が高く感じる人でも
「アロマ」って言い換えれば
香水を身近に感じられると思うんだよ

アロマ高級バージョンが香水のことだからだ
(アロマテラピー=芳香療法=香料治療)






54

『香水を纏わない女に未来はない』
ココ・シャネル 


 
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『何を着て寝てるかって?シャネルの5番よ』
マリリン・モンロー




ココ・シャネルにとっても
マリリン・モンローにとっても

「未来」ってのは
「死後」のことも含み

ココ・シャネルも
マリリン・モンローも

その名は

人類から
消えることは

決してないんだ







 

運命創作の核

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神秘の瞬間も
奇跡の瞬間も

あっという間に
一瞬で終わるもの


その一瞬を
掴めるか掴めないか

その一瞬を
使いこなせるか使いこなせないか


幸福と不幸の分かれ道ってのは
(運命創作の分かれ道ってのは)

ここにあるんだなぁ〜



 

 

人間関係という自分作品

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最初から
完成された人間関係は
存在しないし

最初から
完璧な人間関係は
存在しない


人間関係ってのは他者と
一緒に作っていくものなんだよ


でもさ

運命の人みたいなの
信じてる人ってのは

その人とさえ出会えば
その人と一緒にさえいれば

全ては上手く行くって
自分は幸せになれるって

なんでか勝手に
強く思い込んでるんだよね


だからそれが
現実逃避なんだよ


そして人間関係ってのは
自覚と選択が伴わないと
気持ち良いものにはならなくて


なので

恋人でも
配偶者でも

定期的に
お互いの気持ちを
確認しあうっていうか

そういうのって
大事だと思うんだ


ただ
なんとなく
惰性で繋がるとか

ましてや
依存心や執着心で
がんじがらめに繋がるとか

これこそが
不幸な人間関係の始まりになるんだからさ






玉石混淆(ぎょくせきこんこう)

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スパイス・ガールズ時代の
ヴィクトリア・ベッカム


若くして
ポップアイドルとして
大成功を収めて

その後は結婚&出産
そしてセレブな暮らしがあり
現在はデザイナーとして大成功



18

オルセン姉妹もそうなんだけど

人生大成功の後
良いモノを知る人生を
ある程度の時間生きたら

もうあとは
「自分でデザインする」って方向に
自然と流れていくものなんだよね


それは
言い方を変えるなら

「自分自身がブランドになる」
ということだ


そして
これは別に

ファッション業界だけに留まらず

どんな人生でも
どんな仕事でも
どんな世界でも

全く同じ事が言える


そして
この流れを逆流させれば

自分自身がブランドになるためには
世界中に存在する良いモノを知る必要がある

ってことが分かるよね?



良いモノを知るってのは
物質のことだけじゃないよ



人間
人生

考え方
思い方

在り方
生き方


何にでも

良いモノもあれば
悪いモノもある


『玉石混淆』 って言い方を
美輪さんはよく言われるけれど
それは本当にその通りなんだから



***

『玉石混淆』

賢者と愚者
本物と偽物
宝石と石ころ
良いものと悪いもの
優れたものと劣ったもの
価値のあるものと価値のないもの

などが区別なく入り混じっている様子

***



愚者や
偽物や
石ころや
悪いものや
劣ったものや
価値のないもの


そんな人間
そんな人生

そんな考え方
そんな思い方

そんな在り方
そんな生き方

(もちろんそういう物質も)


こういうものばかりを
ジーーーーーっと見て
毎日を暮らしていたら

自分の生きる方向は?といえば

自分の視線の方向に
自分は生きる事になるのだから

結果など
最初から目に見えているのだよ




 

スウィーツと愛

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お菓子は
スウィーツは

愛だよ



人生のデザートは愛なんだ


そして愛の質も
年々移り変わり


今は

上質のお菓子
上等のお菓子

それが1つあれば満腹


上質の愛
上等の愛

それが1つあれば大満足!



ああ〜

大人になるって
こういうことなのね〜




 

象徴と幸福の関係

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ヒルデガルトが描いた幻視風景

ここでも花が
象徴的に描かれている


花は自分
花は愛だ


幻視風景ってのは
今を生きる人々の中でも

本人は無意識&無自覚なんだけど
ポーンと出てくるんだよね
似たようなイメージが


だからこそ
象徴って導きなんだろうし

象徴を拾い集め
生きていくことが

幸福への最短距離になるんだろう





矯正ではなく調律だ

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結局Angela

更年期ってもの
全く知らずに済んだぞ


私は更年期なんかとは
無縁の人生だーー!と

過去の何処かで誰かに
大々的に宣言して

やっぱ
その通りになったなぁ〜


病は気からって
マジなんだから


死に至る病
つまり寿命に関わる病

それ以外は
ぜ〜〜〜んぶ
自分の気が生んでいる


気分
気持ち
 
気ってのは
目には見えない
エネルギーなんだけどさ

このエネルギーが
自分の心身を良くも悪くもする


そのために

悪いエネルギーを発する人に
近づかない&関わらない

というのは
もちろんのこと

自分もまた
悪いエネルギーを
自家発電しないことなんだよ

(悪いエネルギーを自家発電
=自己嫌悪=自己否定=自己虐待)



子供時代に
悪いエネルギーに当たり続ければ

心や脳や体の
発育不全や奇形を生むし


大人になってから
悪いエネルギーを自家発電し続ければ

心や脳や体の
歯車や波長が狂い出していく



だから

健康になるとは
イコール
幸福になるとは

心と
脳と
体の

エネルギーの中身や種類を
良い方向に整えていくことで

これは

既存の型に自分をハメ込むという
矯正という作業とは大きく違い
(矯正=虐待だからね)

チューニングのことなんだ
調律ね


チューニングがズレていて
その状態で楽器を弾いたらどうなる?


これが

不快な自分
不快な人生

それを生む根本原因なんだ


自己チューニング
自分チューニング

という表現を
ずっと使っているけれど


チューニングってのは

朝に整えても
夜にはズレてる

そういうもの


だからこそ
自分の心と脳と体のメンテナンス

それは1日1回だけじゃなく
できれば朝昼晩くらい

自分を幸福モードに
チューニングし直す必要があるんだ


幸福モードってのは

楽しいな〜
気持ち良いな〜

という気分や気持ちに

自分で
自分を
する

ってことだ



心と脳と体の3つを
もれなく自分で楽しませる

心と脳と体の3つを
もれなく自分で気持ち良くさせる



誰か私を楽しくさせて〜とか
誰か私を気持ち良くさせて〜とか

そんなアホなこと
一切思わずにね






《 追記 》

心や脳や体の発育不全

この部分に関しては
調律という問題ではなく

「育て直し」
ってことになるね


自分を育て直すことが出来る人間は

親や教師や医者ではなく
ましてや友人や恋人や配偶者でもなく

この世に
自分しかいない



心や脳や体の奇形

これは
自分の個性だから

自分の個性を伸ばせる環境に
自分の個性が活かせる環境に

自分で自分を位置させていくからこそ

奇形の自分でも健やかに快適に
ノビノビ生きていく事が出来るようになる





 

愛と幸せ

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自分を愛する
ということも

自分が幸せになる
ということも


自然発生的に自分の中から
湧いて出てくるモノじゃないから


自分を愛する
ということも

自分が幸せになる
ということも


愛する意志
幸せになる意志

それを自分が持って
初めて発動されるものなんだ





月のリズムと植物と人間の関係

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満月までに

やらなければいけないことに
植物の世話もあってね

植物の移動とか
植物の植え替えとか

そういうのも
満月までにやることなんだ


満月とか新月とか
月のサイクルってのは

人間以前は
植物に使われていたことで

まあ実は
こっちがメインといっても
過言ではない


だから

人間が月のサイクルで
動くようになったのは

現代の人間たちが
失われつつあるものを

植物の生態の
真似をしながら
獲得していこう

ということなんだろう


生長
成長

『育てる』ってことが
特にね


自分を育てる
人生を育てる


育てなきゃ
何事も起らないし

そもそもタネもまかないで

花が咲くのを
実が実るのを

期待するってさ


ここから
在り方や生き方が
間違ってるんだから




 

感動という原動力

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春から夏に向かう
この季節

植物の生長ぶりが
すざまじい


なにもなかったところに
気がつけば

グリーンがいっぱいで
ピンクがいっぱいで


冬の真っ白な世界が嘘のよう


四季って
すごい

どの四季も
MAXまで発揮する
この土地はすごすぎる


この体感
この感動


それを
どこに注ぐか

それを
どのように形にするか


この発想こそが
生きる原動力で

感動のないところに
原動力など生まれようがないんだよ







優しさと強さは同義語なり

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優しいってのは

どんなときも
ヘラヘラ笑ってる人

って意味じゃないんだよ


暴力反対とか
平和主義だとかって言って

自分が殴られてるのに
殴り返さない人のことではないんだよ


戦うべき時には
勇ましく戦える人が
真に優しい人なんだから

そういう人じゃなきゃ
『愛するものを守る』
なんてこと出来ないしね


守るってのは時には
力づくで守らなければいけない時もあるし


だからこそ

「自分を守る」ってこと
出来てる人が

「愛するものを守る」ってことも
出来る人になるんだよね




 

自分の人生のためだけに用意された自分の器

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自分の器は
自分の人生の入れ物で

自分の器は
他人の人生の入れ物ではない


もし自分の器に
他人の人生を入れてしまったら
自分の器は壊れてしまう

もし自分の人生を
他人の器に入れてしまったら
他人の器は壊れてしまう


親の人生を
自分が背負って
自分が壊れてないか?

他人の人生に
自分が入り込もうとして
大事な関係を壊したことはないか?




 

自分の心の声の聞き分け方

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心の声ってのはね

詩みたいなんだ
音楽みたいなんだ


だから
それを
聞いていると

心地よくなる
良い気分になる


心の声以外の声は

騒音だ
雑音だ

だから
それを
聞くと

心の声とは真逆の体感で

気持ち悪くなる
気分が悪くなる


心の声には
メロディがあるんだ

心の声には
ハーモニーがあるんだ


だから心の声は
どこまでも透き通り

だから心の声は
どこまでも美しい



自分の心の声の
聞き分け方って

めっちゃ
簡単やろ?




 

自業自得は素敵なポジティブ・ワード

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自業自得って言葉

一般的には
ネガティブな意味で使われているけれど


元々の意味合いとしては
善悪両方の意味があり

でも言葉の並びだけを見るなら
良い意味がメインのはず
と思うんだが


だって

自業・・・自分の業(行い)が
自得・・・自分に得(良い事)を与える

ということだもんね


それと
同時に

自業がなければ
自得もないってことで


ああ〜

自業自得って
なんて素敵なポジティブ・ワードなんだろう〜


 


《 追記 》

業ってのは
カルマってことで

カルマってのは

自分がしたことは
『そのまま』
自分に
還ってくる

というエネルギーの流れのことだ
(前世うんぬんは関係ね〜ぇ〜)


自分発の
何かが

他者発として
自分に『そのまま』注がれる

これがエネルギー循環の
始まりと終わりのポイントなんだけど


『他者発→自分発』って
思い込んでる人が多いよね


『他者発→自分発』これは
幼児期〜思春期限定の
学生パターンであって

成人して社会人になったら
大人パターンである
『自分発→他者発』に設定されるんだ


大人になれない大人たちが
エネルギー循環の法則すらも
学生のままの幼稚なパターンを生きてたら

そりゃあ
いつまでたっても
幸福実現は不可能なんだよ


『自分発→他者発』を生きる

イコール
自分が変わる

イコール
自分が発する感情や思考や行動を
より良いものへと意識的に変化させる
(すると他者からも同じものを注がれるようになる)


こういうの全部は
誰も教育も指導もしてくれない

自分が

日々
瞬時

手取り足取り
変えていかなければいけないことなんだよ




*自分発とは「対 自分」に対する
感情と思考と行動も含む*



自分勝手と自由は違う/自己中心的と自分軸は違う

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自分勝手と自由は違う
自己中心的と自分軸も違う

これは

不幸と幸福の違いくらい
大きな違いがあるんだ


実際

自分勝手に生きてる人は不幸だし
自己中心的に生きてる人も不幸だけど

自由を生きてる人は幸福だし
自分軸で生きてる人は幸福だ


自分勝手な人は
周囲の人に(親密な人に)
迷惑をかけまくって生きていて

自己中心的な人は
周囲の人を(親密な人を)
傷つけながら生きているが


自由を生きてる人は
周囲の誰にも迷惑などかけていない

自分軸で生きている人は
周囲の誰をも傷つけ生きてはいない



不幸な両親や兄弟姉妹や友人や知人
そういう人々に囲まれ生きてきた人は

この違いが明確ではないから


自分が自由を生きることが
周囲の迷惑になるとか

自分が自分軸で生きれば
周囲の誰かを傷つけるとか

そういう

「間違った思考回路」が
完成してしまっているんだ






闇と光の人生経験

Alchemy_Pg__2_by_aprologuetothechaos
The_Study_Of_Alchemy_by_aprologuetothechaos

錬金術文献の
意味不明シリーズ

占星術で使う記号は
やっぱりここでも存在する


にしても

智慧を理解するために
人生経験は大事だよな


人生経験とは

闇と光
両方のことだ


闇ならもう
知り尽くした

と思う人が
次に向かうのが


光世界の人生経験だ


闇世界も
なかなか奥が深いものだが

光世界も
果てしなく奥が深いものなんだよ





何もないことが美ではない

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美の定義

何もないことが
美ではない


空っぽの部屋は
美ではないし

空っぽの水槽も
美ではないし

空っぽの本棚も
空っぽのタンスの中も

それは美とは言えない


何かが
そこにあって

そして
美は生まれるんだ


赤ん坊は
可愛いけれど

赤ん坊は
美ではない

なぜなら赤ん坊には
人生経験がないからだ


人間の美

だからそれは
個人の人生経験が作り出す


どんな
人生経験であっても

それを美にするか
それを醜にするか

そこにこそ

個人の生きるスキルが
関わっているんだ







人生のゴールとは何か

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人生のゴールは何って
人生のゴールは「死」だからさ


自分が死ぬ瞬間に

生きてて良かったなぁ〜とか
楽しい思い出テンコモリだったなぁ〜とか

究極は
『幸せな人生だったなぁ〜』
と思えること


これがゴールだ 


このゴールに向かって
今日も私たちは生きる


与えられた命を生き続ける


それで「死」ってのは
夜寝る時も「死」だからね


毎晩
寝る前に

今日も良い1日だった
今日も楽しい1日だった
今日も幸せな1日だった

と思えることの積み重ねが
最高の死を向かえる1歩となる



夜寝る前に
こういうことを思えなかった日は

明日こそは
そういう日にすればいいんだ


朝目覚めた瞬間から

誰でもチャンスは毎日
与えられているんだからさ





《 追記 》 


そこで必要となるのが
『工夫して生きる力』

つまりは

企画力
実行力

なんだ


自分の人生を良くするために
自分の人生を楽しくするために
自分の人生を幸せにするために


今日

自分は
自分のために
何ができるか

ここに頭を使えるかどうかが
ここに手足を使えるかどうかが
ここに自分時間を使えるかどうかが

人生の分かれ道になるんだよ

 


 
 

不幸人を大量発生させる思想

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あれ?
ニッキー・ヒルトン
赤ちゃんできたんだー

なんて
オシャレな妊婦さん!



ところで

自分が
幸福になるためには

自尊心が必要だってこと
考えたことがあるだろうか

自尊心がない人は
幸福になりようがないってことを


***

自尊心=

自分を肯定する心
自分を大切にする心

自分を肯定しないものを排除する心
自分を大切にしないものを排除する心

***


これが無いってことは

自分を否定し
自分を粗末にし

自分を肯定しないものを受け入れ
自分を大切にしないものを受け入れる


こうやって生きて
どうやって幸福になれる?

不幸しか道がないのは
目に見えてるやんか!


自尊心=自分を愛する心


なんでもかんでも
許しましょう

なんでもかんでも
受け入れましょう

こういう宗教とスピの思想が
いかに不幸人を大量発生させるかってことも

自尊心ってことを
軸に考えていけば

分かりやすいやろ?





 

人間の学びを阻止するのは依存心だけ

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人間の学びを阻止するのは
依存心だけなんだよね


とにもかくにも

依存心がある人は
依存心があるうちは

学びというのは
進行することがない


依存心とは

きっと誰かが
自分を救ってくれるとか

きっと誰かが
自分を守ってくれるとか

きっと誰かが
自分を支えてくれるとか

きっと誰かが
自分を愛してくれるとか


これがあるうちは

自分で自分を救おうとか
自分で自分を守ろうとか
自分で自分を支えようとか
自分で自分を愛そうとか

もう絶対
思えるはずがないんだから


だから
絶望って大事なんだよ

だから
孤独って大事なんだよ


もう何もない
もう誰もいない

だからこそ
自分は自分の足で立ち上がろうとする


幸福の学びも
そこからやっと開始されるんだから

それ以前ってのは
なにやってもダメ


ってことは

不幸のスパイラルを生きる人の
典型的な人生パターンなんだよ






アフリカン・シンボル

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アフリカン・シンボルも
なかなか楽しいんだよな


それで
その意味も

内的な意味合いのものが
すごく多いんだ

いかに
自分の精神性を
大事にしているか

という
現れでもあるよね

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言葉の真の意味を
感覚的に理解するのに

絵文字ってのは
ホント勉強になる





人間と人生の開花の話

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え?
これって
花が咲くものだったのか???
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花なんて
咲かないものだと
思い込んでいるところに

花を見つけると
ビックリするよなぁ

もちろん
嬉しいビックリだけどね


「花が咲く」ってのは
危機感の現れなんだよ


命が終わるかも・・・

と感じるからこそ花を咲かせ
自分のタネを残そうとする行為だからだ


なんで
この植物
生命の危機を感じたかって
Angelaは水を少なめで育ててるからだ

この植物は
水をあげすぎると
一気に枯れるからだよ


このくらい
シワシワになったところで
ドーーと水をタップリあげる

このくらいで
丁度いいんだ

植物の生長ってのは


コレを
人間の生き方に置き換えるとだ


宗教やスピってのは
水をあげすぎなんだよ

そして

心を腐らせる
人生を腐らせる


つまりは

自分も開花させず
人生も開花させず

危機感すらも麻痺させて
死んだように生きたまま
寿命を全うさせようとする


自分の危機感
人生の危機感

それを

他者や世間のせいにする
アホアホ責任転嫁人間は

その時に犯罪に走る
もしくは犯罪予備軍的行動をする


自分自身
自分人生

その全てに
自分が責任を持って生きるなら

この時の
自分と人生の危機感こそが

自分と人生に
「花を咲かせる」

という結果を
導くことになるんだ





 

本当の自分をビジュアル化する

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本当の自分ってのは
根拠のない自信に満ちている


もう
絶対

自分
人生

大丈夫!


根拠がなくても
そう強く思えるんだ
(結果→大丈夫な人生が創作される)


これはスゴいよな


だからこそ
本当の自分で生きるってのは
最強の生き方になるんだ


グジグジ
グダグダ

言ってる自分の
その向こう側で

デーンと正々堂々と揺るぎなく
仁王立ちしている自分を見つけたら


それが
君の

「本当の自分の姿」なのだ! 





 

愛の物質化

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愛の瞬間ってのは
儚いものだから

だからこそ
アーティストたちは
それを「作品」にするんだよ


作品になってしまえば
愛は永遠のものになるからだ


作品になった愛は
永遠になった愛は

ずっと自分を救ってくれるし
ずっと自分を支えてくれるし


愛の物質化
愛の具現化

それはこう
何十年も時を経て

やっと

その偉大さを
実感できるようになるんだ





 

虐待連鎖の断ち切り

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虐待の連鎖ってのは

子供を持たなくても
自分で自分を虐待し続けるし

他人を攻撃し続けるし
他人を非難し続けるし

攻撃と非難の対象は
恋人や配偶者だけではなく

友人や同僚や部下や
見ず知らずの他人にまで及ぶ


だから

恋愛しなければOKとか
結婚しなければOKとか
子供を持たなければOKとか

そういう問題でもないんだよ


他人を攻撃すれば
自分はガミガミ

他人を非難すれば
自分はイライラ


ガミガミとイライラを排除するために
全ての人間関係を排除しても

残る唯一の攻撃と非難の対象である

自分にガミガミ
自分にイライラ


虐待連鎖は
一向に終わることがないんだ


そんなこんなで
生きることがしんどいだの
死んだ方がマシだのってなるのだが

自分が自分虐待を
止めればいいだけの話なんだよ


それが
つまりは

『虐待連鎖の断ち切り』
ってことなんだけどね

 



 

経験は宝物

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モノも
買い物も

人間や
人間関係と同じだ


数を経て
経験を経て

そしてやっと
自分だけの一生モノが何なのかを知る


自分の思想も
自分の信念も

そんな自分の
豊富な人生経験によって
形成されたものだからね


だからこそ
揺るぎない


自分の経験の裏付け

これに勝るものなんて
他にはないし


ああ
もちろん

不幸の経験の裏付けなんてのは
あっても不幸論しか語れないからさ
(不幸論=人生論ではない!)


幸福論を語りたい人は
幸福思想を語りたい人は

自分が幸福を経験するしか
道はないんだよ






注)幸福の定義

時間の経過で
失われるものは
幸福とは言わない

幸福は継続であり
幸福は永遠のことだからである



人間讃歌

IMG_3101


美しいもの
美しいもの

これら全ては

人間が生んだ作品なんだ
人間の手が生んだ作品なんだ


人間って

なんて素晴らしい
生き物なんだろう


だって日々
美を創作する

大自然や
大宇宙以外では

人間だけが

この世で
美を手作り出来る
唯一の存在なんだから





ナイナイ星人 VS アルアル星人

IMG_3059

ナイナイ星人
アルアル星人

という人間カテゴリーもあるんだ


ナイナイ星人は
自分に「ないもの」ばかりに
焦点を当てて生きている

ナイナイ星人の口癖は
「あれがない」「これがない」などなど
(「あれができない」「これができない」も含む)


アルアル星人は
自分に「あるもの」ばかりに
焦点を当てて生きている

アルアル星人の口癖は
「あれもある」「これもある」などなど
(「あれもできる」「これもできる」も含む)


ナイナイ星人と
アルアル星人は
同時共存は不可で

どっちかのカテゴリーにしか
存在し得ないのが大きな特徴だ


ナイナイ星人は
「あるもの」が焦点外
「あるもの」が視界外にある

アルアル星人は
「ないもの」が焦点外
「ないもの」が視界外にある


さぁ〜〜て
ここで質問です


ナイナイ星人
アルアル星人

不幸人は
どっちでしょう〜?

幸福人は
どっちでしょう〜?





コスプレや人形になる存在

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「プリティ・ウーマン」での
ヴィヴィアン役のジュリア・ロバーツ

今となっては
この姿

コスプレの定番で

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ヴィヴィアン人形まであるぞ〜〜〜!


ヴィヴィアン
ヴィヴィアン

この映画あってこそ
女の自尊心なるものを学べたんだから

かっこいいんだ
ヴィヴィアンは


コスプレや
人形になる存在って

そこには

その人の信念
つまりは
その人の美意識

それが
その人の中心に

ズコーーンと
存在してるんだよな






幸福教育

14


幸福教育
イコール
人格教育


幸福になるために
教育が必要だなんて
誰も気づいてないけれど

自分が幸福になるためには
人生を幸福にするためには

それ相当の
「教育」は必要不可欠なんだよ




内的成長のスピードは超高速

55

かわいいねぇ

キム&カニエの第2子
男の子


それで
そう!

生まれたての
赤ん坊ってのは

こうやって
みんな万歳ポーズでさ

手のひらも
ギューって
握ったまんまで


懐かしいな〜赤ん坊

子供が大きくなるのは
ホントにホントに早くて


でも
大人になって
「生まれ変わり」を
経験する人は

その成長ぶりは
赤ん坊どこの話じゃない

ものすごいスピードで
内的成長が進んでいくんだよ





 

世界平和のために個人が出来る唯一のこと

01

やっぱ金髪キムはカッコいいな


この人みてると
すごくわかりやすいんだが

人間ってのは
自分の欲しいもの

そこにただ
素直に真っ直ぐに
向かって生きるだけで

それら全てを
手に入れられるものなんだよ


自分の生きるモチベーションというか
生きる原動力ってのは

自分が欲しいもの

それ以外に
何があるって言うんだ?


他者を救うとか
人類を救うとか

そんなアホなこと
考えるのはやめて

自分で自分を満たす
自分で自分を幸せにする


この世の全ての人間が
そんな風に生きていけば

犯罪も
戦争も

そんなもん
起りようがないんだからさ






スポンジ人間とザル人間

1


かつてのココ・シャネルのアパートメント
今はシャネルのアトリエ

ここには
螺旋階段があって

シャネルが階段に座ってる写真が
数多く残されている


***


どんどん
自分を変えていく人は

どんどん
人生を変えていく人は


基本
心が

子供みたいに
素直っていうか

子供みたいに
無邪気な人ばかりだね


素直に
無邪気に

まるで真新しいスポンジが
グングン水を吸い込むように

新しい未知なる考え方を
新しい未知なる生き方を

自分の中に入れていく
自分のモノにしていく


スポンジの反対がザルだ


新しいものも
未知なるものも

一切受け付けない

ツーーーーーーっと
スルーーーーーっと

上から下へ
右から左へ

あっという間にスルーする


ザル人間は主には


もしくは
現役の

スピリチュアル信仰者だ


変な
妙な

ポジティブシンキング

その洗脳が
抜けきってないから
こういうことになるんだ


自分は絶対
間違ってない

とか

自分は絶対
正しい

とか

信じていれば
必ずや実りはある

とか

やり続ければ
必ずや報われるとか


変なとこで
妙なとこで

頑固に自分に
自信満々で


そうやって

古い思考パターン
不幸の人生パターン

これを延々と
生きるハメになるんだが


自信を持つポイントが
違うっちゅーの!


だから逆にメタメタに
打ちのめされ尽くした人のほうが

もう何もかも
真っ白っていうか
全くの白紙状態だからさ


新しいものも
未知なるものも

受け入れる余地ってのが
できるんだよね


こういうの見たとき

トコトン絶望って
悪いことではないんだなと思う


中途半端に
宗教やスピリチュアルに
染まってしまった人のほうが
(トコトン絶望の一歩手前で中途半端に救われてる人)

あとあとのこと
考えると

軌道修正に
めっちゃ時間がかかってしまうんだから

こっちのほうが
悪といや悪なんだよ


その時
その瞬間は

それに救われたとしても

幸福への軌道修正は
マジ大変な作業になるぞー!







命を預かる

1


フロントローに座る
シャネルのショーで

カーラが抱いてるのは
彼女の愛犬なのかしらね〜?


ウチの犬と
よく似てる

顔とか
大きさとか

色は違うけど


それにしても
犬ってのは

永遠の3歳児で

だからこそ
超可愛いのだけど

やっぱ命を預かるって
大変なことなのね〜と
今更ながらに思うんだ


命を預かる責任


それは
子育ても同じなのだけど

それは
自分育ても同じことなんだよ


自分の命も
預かりもんみたいなもんでさ

祖末に生きたり
粗末に扱ったり

そんなことは
してはいけないものなんだ


「自分のために生きる」って
なんかそういう感じなんだよなぁ


「自分のため」
なんだけど

なんかもっと別の
「壮大なもののため」
みたいなね


そういう感じ


いっつも
いっつも

実感している






人のため人生が悪と不幸の根源なワケ

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「人のため」って表現は
軽々しく使ってはいけない表現なんだよ


「人のため」ってのは
自分の命を捧げられる

そういう時にしか
使ってはいけないんだ


だからさ
「人のため」って言葉が
脳内に浮かんだ時には

じゃあ自分

その人のために
自分の命を捧げられる?って
問いかけてみればいいんだよ


答えはNOに決まってるんだから


恋人でもNOだ
配偶者でもNOだ

唯一の例外は
自分の子供たち

彼らだけはYESだ

正常な神経を持つ母親なら
みんなそう言うだろう


だけどこの世には
異常な神経を持つ母親が
ワンサカと存在していて

自分の子供を
自分の身勝手で殺してしまう

命を奪わなくても

個性を殺す
才能を殺す


こういう親に育てられた子供は

自分で自分の個性を殺し
自分で自分の才能を殺し

個性を発揮してる人間に殺意を抱き
才能を発揮してる人間にも殺意を抱くようになるんだ


無償の愛を知らない人間が
「人のため」に生きようとすると

自爆するテロリストや
教祖の指示に従う殺人者になる


「人のため」ってことを
自分や人生の軸に置いて生きるって

自分で自分を不幸にするだけじゃない

ホント
マジ

超ヤバい生き方なんだよ


 
だから〜
『自分は自分のために生きる』
それでいいんだよ

自分の命を捧げる対象は

(自分の子供以外には)
自分自身と自分人生だけ

なんだしね






インテリアと心の関係




美しい洋服や小物を見るのも大好きだけど
美しいインテリアを見るのも大好きなんだ


インテリアの美しさって

例えば上の動画の
アーティストの家みたいに

モノが沢山あっても
モノが雑多に並んでいても

パっと見て
美しいと感じる


それは

この人が好きな物だけが
この人にとって大切な宝物だけが
この人の好きなように配置してある

簡単に言えば
ただそれだけのことなんだよ


と考えると
たぶんAngelaが
最も美しくないと感じるインテリアが

風水マニュアルに乗っ取って置かれた
風水グッズがズラズラと並んでいるような
そんな家の中の風景なんだと思う


なぜならそこには
「自分が無い」だからだ


「自分が無い」

自分の好みが無い
自分の宝物が無い
自分の感覚が無い

美の対極にある
醜さの定義がコレだ


ってことで
美の定義イコール

「自分が有る」

自分の好みが有る
自分の宝物が有る
自分の感覚が有る


これって
インテリアだけじゃなく

自分自身と
自分人生にも
同じ事が言えて


だから自分の家って
だから自分の部屋って

自分の心象風景そのもの
すなわち

自分そのもの
自分の人生そのもの



心理的解釈が
されるのだよ!





才能の誤解

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才能ってのは

ストレスとか
プレッシャーとは
無縁のものなんだけど

そこもすごく
誤解されてる気がする


才能ってのは

スイスイ
グングン

自然に
勝手に

自分の手足が
自分の全身が

動いていくものなんだから

ストレスとは無縁
プレッシャーとは無縁
そういうものなんだ

 
だから

必死に
頑張って
一生懸命に
歯を食いしばって
精一杯の力を込めて

才能を探すとか
才能を磨くとか

もうそれ自体
道が違うんだからね



***

スイスイ
グングン

自然に
勝手に

自分の手足が
自分の全身が

動いていくもの

***


つまりは

才能を生きることと
幸福を生きることは

体感も
その道も

全く同じってことなんだよ



自分は動けないとか
自分には体力がないとか

だからそれも違うんだ


自分が本当にしたいことには
自分の体は動くし

自分が本当にしたいことには
自分の体力も付いてくる


そういうものなんだよ





 

運って何だ

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精神世界や
成功哲学に

全く何の興味も
持たなかっただけじゃなく

運をあげるためのハウツーとか
そういうのも昔っから興味がなくてね

(興味がないというか超笑えるね風水理論とかは)


そもそもAngela

占いも
そういう趣旨で
一切やってないしー

自分を知りたいから
人生を知りたいから

ただそれだけの
宇宙の情報源で


なんで興味がないかって
改めて考えてみると

運なんてのは
最初から持ってるから

持ってるもんに
興味なんて湧かないんだよ


(興味がない割には運が良さげなモノが
日常生活には溢れ返ってる感じはする!
=美意識基準による無意識行動だ)


出会い運?
あるある

恋愛運?
あるある

結婚運?
あるある

仕事運?
あるある

金運?
あるある


あれ?
運って何だ?


こんなの全部

自分が動けば
自分から動けば

手に入るもの
ばかりじゃないかー!


つまりは
こういうことだ


「自分には運がない」と
嘆き悲しみながら

部屋で1人で
運アップの本を
読みふけってないで


本を閉じて
部屋を出て

外に出て

自分の興味ある世界に
自分の興味ある人々に

向かって生きろーー!

ってこと
なんだろうな〜


 
運なんてのは人間誰しも
生まれつき持ってるものなんだよ




 

真に大人になるとは

57

幸福も
不幸も

日常生活のことだからこそ

幸福も
不幸も

年中無休なのだよな


幸福の年中無休って
最高だなぁ

不幸の年中無休は
最低だったが


でも
もうなんか

不幸とか最低とかって
全人生での比率が
年々下がってきてるから

(幸福比率が上がれば自然とそうなる)

もう過去世界は
針の穴の点ほども
視界に入らなくなったけど


自分の目の前で
今の家族達が
幸福風景を
見せる時

チラっと過去が
フィードバックするんだ


自分の親とか
自分の親が作った家庭とか

ホンマ
人間として
アホの極みやったな〜と



そうそう

自己肯定って
他者否定とセットじゃないからね

(自分を好きになると嫌いな人が多くなる?ならね〜よ!)

なんかここ
勘違いしてる人いるけど

他者否定は
自己否定と
全イコールだから

自己肯定すると
他者否定も消えるんだよ


否定感情っていう
面倒な感情が自分の中から消滅すると

でもそれが全面的に
他者肯定に転換するワケではなく
( ↑ ここ最重要ポイント ↑ )


『アホはアホ』という

否定でも肯定でもない
極めて正確な人間判定が出来るようになる

その判定基準が
自分の中で明確になるんだ


この世には
今の自分と同じ種類の人間がいて
(=ピーカン100%幸福人〜

あとは

思想の違う人間がいる
感性の違う人間がいる

価値観の違う人間がいる
人生観の違う人間がいる


そして
アホがいる


つまり
自己肯定の境地では

あの人キライ
この人キライ

って感情はゼロになり


・自分と他者との違いが分かる
・アホが分かる

という人間になる!


これこそが
『真に大人になる』って
ことなんだよなぁ〜






 

幸福洗脳

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可愛いな〜
ケイトスペードの
ハワイ限定品


モノに
(デザインによって)
込められる

『幸福感覚=美感覚』

これこそが
ブランドのワザ
なんだけどね


***


そういや

生育洗脳って
言葉や行動だけって
思ってる人
多いと思うけど

それだけじゃないんだよ


不幸な人が触れたもの
不幸な人が作ったもの

それを自分が触れたり
それを自分が食べたり

それによって

肉体内部から
細胞レベルから

不幸洗脳ってのは
行われるんだ


だからこそ
宗教の究極の形って
共同生活になるんだよ
(こえ〜っホラーな修行洗脳!)


幸福な人が触れたもの
幸福な人が作ったもの

そういうものに
自分が触れる

そういうものを
自分が食べる


それによって自分は
幸福の洗脳

つまりは

不幸洗脳の
逆洗脳を

肉体内部から
細胞レベルから

行うことができるんだ


食べるってことでは
情報も食べてることになるんだぞ!


そう考えると

自分の日々の習慣
自分が無意識に行う生活習慣

それが自分を
幸福にも不幸にも
作れるってことが

よ〜〜く
分かると思うんだ






幸福指導の高度なテク

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不幸ってのは

手取り足取り
不幸への道のりを
生育者に誘導されて

そしてやっと完成される
世界観なワケで


その経験上
幸福も

手取り足取り
幸福への道のりを
第三者に誘導されて

そしてやっと完成される
そんな世界観だと思い込むんだけど


これ
ちゃうからね


そもそも
不幸とは

他者軸にて
受動的に生きるからこそ
完成される世界観で


そもそも
幸福とは

自分軸にて
能動的に生きるからこそ
完成される世界観なんだ


つまりは
手取り足取りって時点で
もう全然ちゃうねんてー!


だからこそ
幸福世界の学びとか指導って

誰にでも
できることじゃないんだよ


教えてるんだけど
導いているんだけど

それは
自分軸へ

それは
能動へ

という微妙なサジ加減に
高度なテクを必要とするからだ


他者軸から自分軸へ
受動から能動へ


ここの移行には
意識的かつ自覚的
『自分行動が必須』なんだと

キチンと
自分の頭の中で
整理されるからこそ


不幸世界から足を洗うこと
幸福世界へ足を突っ込むこと

ここは
自動的には
切り替わらないってことを

理解できるようになるんだと思うな





クリスマスは心の幸福実験日

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クリスマスってのは
ハッピーイメージそのもので


だからこそ

ハッピーが大好きな人は
クリスマスも大好きで

ハッピーが大嫌いな人は
クリスマスも大嫌い

となるのだ


大好きって気持ちは
自分から近づく行動に繋がるし

大嫌いって気持ちは
自分から遠のく行動に繋がる


ハッピーに近づく人は
人生の結果もハッピーになるし

ハッピーに遠のく人は
人生の結果もハッピーから遠ざかる


おお〜〜っ

なんて簡単な
人生の仕組みなんだ〜〜


17

ワンコの人生初
クリスマスプレゼントは
まるでリースのような犬の玩具だ

この手のヒモ系玩具が
ウチの犬は大好きでね


でもさ

これ「あげた」からって
犬は大喜びってワケではないのだよ

これで「遊んであげる」から
犬は大喜びってことになるんだ


それは人間も同じ


モノより
遊び

楽しい
嬉しい
面白い

こっちの感情こそが
最大のギフトで

モノは単にその
仲介役でしかない


ハッピーな人は
自分遊びが上手なんだ

アンハッピーな人は
自分遊びが苦手なんだ


自分遊び=人生最大の幸福ギフト


「人のため」に生きて
失望して絶望して

そんなことで
自分人生を無駄に過ごすより


「自分のため」に生きて
楽しがって嬉しがって

そんな人のほうが
側に居ても自分も面白い


なのになんで
「自分のため」って
悪のように見られるんだろうね〜?

「人のため」こそが
人間最高の善みたいでさ


「人のため」
って生きてる人で

ハッピーに生きてる人を
今まで見たことがない

というか
そういう人は

周囲に害ばかりを
振りまいて生きてる
(害=愚痴&不平&不満&言い訳)


「自分のため」
って生きてる人は

ハッピーに生きてる人ばかりで
周囲の人もハッピーに大きく巻き込んでる
(ハッピーの巻き込み=感動の共有体験)


「自分のため」は

自己中心的とか
自分勝手とかね

なにかと
そういう言葉と
セットで使われるんだけど


自己中心的で
自分勝手なのは

「人のため」って
生きてる人のほうなんだから


自分を褒めて!
自分を認めて!

そればっかりで

褒められなきゃ
認められなきゃ

ドツボにハマって
害を周囲にまき散らすしね


「人のため」なら動けるけど
「自分のため」なら動けないって

こういう人も
すごく多いんだけど

それって
おかしくね?


「人のため」も「自分のため」も
そもそもイコールの行為なんだ


つまり

「人のため」に
動けるってのは

「人のため」に
動いてはいないんだよ


「人のため」じゃなくて

「自分が」褒められたいから
「自分が」認められたいから


これって

なんて
自己中心的で

なんて
自分勝手な生き方だろう



今日はクリスマス



「自分のため」に
生きてみなよ

「自分のため」に
惜しみなく手間ひまをかけて

心を込めて
魂を込めて


遊ぶ!!!


「自分」と
遊べる人は

「他人」とも
遊んで生きられる


つまりは

自分とも
他人とも

楽しく
嬉しく
幸せに

生きていくことが
出来る人

ってことなんだから〜






 

幸福の美味しい果実の話

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クリスマスツリーってのは
いつみても本当に素晴らしいオブジェだと思う


だからこれ
1年中飾ってても
良いもんだと思うんだけどな

まあその代わりに
私たちの日常生活には
観葉植物ってもんがあるんだが


心の進化は
魂の進化は

木で表現できるんだ
木が表現してるんだ


もちろんこれは
肉体とは別の動きのことで

だからこそ

成長期とか老化とかってのとも
全く何の関係もなく

それは変化し続ける
それは生長し続ける


それで自分の木に
実がいっぱい実ったら

その実を
誰かに差し出すことが出来る

実を次々に
誰かにプレゼントしても

自分という木は
屁でもないからだ


生長した木は

またいくらでも
実をならすことが出来る


だけど

木が生長してない人が
実もなっていない人が

「人のために生きる」って
どういうことだと思う?


自分の木を
切り倒して

自分の木を
燃やし尽くして

それを
「人のため」だと
差し出しているんだ


修行人生者がよく言う
定番フレーズとして
『身を粉にして働く』
ってのがあるけどさ

正に
このこと

自分の身(=木)を
削りながら生きている


この生き方に
幸福はあるか?

NOに決まってるじゃん!


自分の木
生長途中の木

それを
切り崩して生きていけば

いずれは

自分の身(=木)は
自滅(=破滅)する


だからこれも
自殺の変形パターンなんだよ


自分の中にある木の存在
それを見つけたら

実がなるまでは

自分のことに
集中しなくちゃ

自分を育てることに
没頭しなくちゃ


実がなったら
その時にこそ念願の
「人のため人生」を生きればいいんだ


自分の実を
配りながら
生きていく


その生き方には

自分の身(=木)を
切り崩す必要がないから

痛みもなければ
苦しみもなく

だから自滅への道を
歩くことにはならないからね



って
いうか

自分の幸福の拡大って

『自分の幸福の木に実った美味しい果実』を
世界中の人に配り歩くこと

言わば
このこと

だからねー







美と幸福

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美意識ってのは
すごいもんだ


美意識と幸福感は
同義語って定義しても
いいと思うくらいだ


自分の中も
自分の外も
自分の周囲も

美意識によって
形成させていけば

嬉しい
楽しい
感動ー!

しか生まれないもん





 

最初のボタンを直す無人島発想



マイケルのドキュメンタリー
これも大好きな映画なのだけど

これは
リハーサル風景なんだよね

コンサートフィルムじゃないんだ

スポットライトが当たる
ステージの上の
観客の前の

本番じゃないんだ


でもマイケルは
リハーサルから

スタッフ
共演者

そこにいる彼らを
そこで見る彼らを

ダンスと歌で
悩殺していた

って事実の記録が
この映画の素晴らしいところなんだ


尾崎が歌手になるキッカケとなった
オーディション風景も
今ではYou Tubeで見れたりするけど

オーディションから
尾崎は尾崎だった

もうすでに曲も彼も
完成されていたんだ



『自分の幸せ探し』ってことを
考えていく時に

無人島イメージが
ピッタリだと思うんだ

なぜなら
今を不幸せに生きてる人は

最初のボタンを
かけ間違えている

だからこそ

手元に一番近いボタンを
何度ハメ直してみたところで
根本的な解決にはならない


最初のボタン
それが「人のため」
という考え方なんだ

自分の幸せと
「人のため」とは
そもそも最初は
何の関係もないものなんだ


マイケルなら無人島でも
1人で踊って暮らしているはず

だってマイケルは
体が勝手に動いてしまうんだから


尾崎なら無人島でも
1人で歌って暮らしているはず

だって尾崎は
頭に音楽が鳴り続けてるんだから


無人島には
人は居ない
自分しか居ない

そこで自分が
幸せになれること

それが「自分の幸せ」なんだよ


Angelaがもし
無人島で暮らしていたら

やっぱり今と同じように

空を見て
雲を見て

太陽を見て
月を見て
星を見て

宇宙の素晴らしさに感動して

その感動を
詩にして

そこらへんにいる生き物たちに
その詩を語り聞かせているだろう


ということをしながらも
同時に

空を見て
雲を見て

太陽を見て
月を見て
星を見て

そろそろ雨が降るぞとか
そろろそ嵐がやってくるぞとか

もうすぐ晴れるなとか
もうすぐ春になるなとか

そういうリズムを元に

自分の生活を
心地よく快適に過ごすための

準備とか
工夫とか

そういうことにも
日々勤しみ生きていることだろう


つまりは
やってることは
同じなんだよ

他者が居ようが
社会に居ようが


そして
こういう生き方を極めた人が

マイケルのように
リハーサルと本番の差が
限りなくゼロになっていくんだ


孤独と共存

その時の
自分の在り方や生き方

その差が
限りなくゼロになっていく
ということなんだよ


最初のボタン

それを
「人(社会)のため」から
「自分の幸福のため」に
はめ直す

(この作業に薬物の一切は必要ないって
分かるよね?=薬物に逃げるなー!)


あとはもう嘘みたいに
人生は好循環だよ

今までの悪循環は
何だったんだ?ってくらいにね


*「自分の幸福のため」に
自分が生き始めるのだから
結果が「自分!幸福!」になるのは
当たり前でしょー!*



異種同士の快共存について

alchymia_0exi

古い文献で

女性の錬金術師って
ほとんど見かけないのだけど
(大抵はオッサンばっかりで)

でも
たま〜に

それっぽいのは見つける

だからたぶん
女性の場合は

錬金術師と
同じ事をやっていても

魔女ってほうに
定義されたんだろうな


いずれにしても

昔々大昔の時代は
女性の生き難い時代で

でもそれは
今の時代も社会面では
あんま変わってないと思うんだ


だから女性が社会でも
自分らしくスイスイ生きていくために

男性の力を利用するっていうか
男性の力を活用する必要はあるんだよ


でもなんか
女性ひとりで
キバって生きてる人って

男性と対等に
生きようとしてるよね

それか
男性を見下してる感じする


男性と対等な生き方は
女性が大損するのは目に見えてるし

男性を見下してる人は
女性を見下している人と
ご縁が成立するんだ


異種同士の快共存
(=男女の快共存)


これは

本当に
本当に

レベルが高い生き方で
ハードルの高い生き方なので

自分や人生に
何のメリットもない男性ならば

関わらない方が賢明
(共存しない方が賢明)

という考え方も
あるのはあるんだよなぁ





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